過去に溶けて
今日の数字は、とても好きな並びである。美しい数字、のならびが好きだ。よって。健康診断の日にちは、身体や会社のスケジュールはなく、好きな数字で決めてしまう。半年のうちの、たった、いちにち、を選べるんでしょう?
はじめの日は、こんにゃくゼリーをふたつ。無理やりたべた。先日風邪を引いたとき買っておいたもの。小さいとき、すきだったなあ。
朝、さいごに一緒に食べようよ、って言った、トマトスープ(野菜をぜんぶ正方形に切って入れたごくふつうの、いつもどおりのもの)、ちょっと余っているけれど、触れる気がしなかった。
いずみちゃんのごはんが好き、って、言っていたね、手際もよくないし、決して上手ではないけれど、つくるの、すきだったな、おいしいって、なんでも言っていたね、もっと色々つくって食べさせたかった。結婚して主婦、になって、おかえりって、エプロンつけて、ちゃんとテーブルに、ごはんを並べてあげたかった。ありきたりなふつうの生活も幸せだったのかもしれないね。いつものチーズケーキ、たべたいと言っていた、もっとちゃんと、訊いてあげればよかった。
翌日はおひるにたべなきゃ、とおもって、小鉢をみっつと、おにぎりひとつと、お味噌汁。おとうふ二口と、ほうれん草のおひたし三口で、いっぱいになる。たべなきゃ、とおもうと、なみだがでそうになる。たべることによって、生きたい、ってことになって、そんなの、いけない、とおもってしまうから。でもこの身体上、たべないことがいけないことなのもわかっている。ぐるぐるしているうちに、ポカリスエットだけあればだいじょうぶ・・・とここ数ヶ月の思考に至る。
その次の日のおひるは、おにぎりふたつと、お味噌汁。『千と千尋の神隠し』のおにぎりのシーンのように、なみだがぽろぽろとなる。二個めのとちゅうで、きもちがわるくなる。もうたべれない、っておもうけれど、いずみちゃんぷくぷくになっておいてね、って言葉を何度も思いだして、無理やり、食べきる。おにぎりにこ、たべたよーってラインしたくなる。けど、ぜったい、しない、それが苦しめることになるのであれば、しない。ひとりになっていて。なにからも縛られず、苦しまず、悲しまず、あなたでいて。
わたしはふつうの、女の子だっだんだなあ、と、おもう。
あっさりさっぱり、している、できる、と、おもっていたけれど、遥かにちがう、現実。
わたしは文化や芸術がすきで、生きていないような、生きている心地がしないようなものや、ひとに、惹かれるけれど、文化や芸術だって、生活、がないと産まれないわけであって、そのこと、全然気づいていなかった。物語のように生きていたかったし、生きてゆくとおもっていたから。
ここ数年のわたしがわたしでないことは明確で、淀んでいることはわかっていて、美しくなんてなくて、正しくもなくて。それでも何となく、生きてしまって、甘えてすがっていて、末路。当然の結果である。わたしがわたしを、わたしたちを、あなたを壊した。しかしこんなくるしさを、つづけていたのかとおもうと。
くるしみなんて、一時期であって、いつかそれは淘汰され、浄化され、光が射すのかもしれないけれど、けれど。
わたしのすべてだったから、なんて、よくある言葉を口にする。
『みんなふつうだけど、みんなどこかひとつ、おかしいのよ』
出て来る言葉はすべてありきたりで退屈、けれど、これが取り繕わないほんとう、であって。
▷きょう食べたもの
おひる 白ごはんと明太子
よる チーズケーキ
何にも満たされないまま、歩道橋からじっと見詰める。進むことと戻ること。生きて。