自意識を宇宙へ放り投げた、ときのこと

歌と言葉が重なる、アイドルにはなれなかったあのひとは、新宿のカラオケ館のパーティールーム、みっちみっち、ぎゅうぎゅう詰めになった、その部屋で、そこにいるすべてのひとを救っているのでした

 

見つめあって、手を握って、歌い合う女の子も、東京から遠い街から来た男の子も、やたら歌がうまかった、おじさんも女子高生も、自撮り、ピース、泣いて、歌って、そのすべてがわたしには物語にみえた、たったいまの、ここにしかない、特別なもの。ああみんなみんな、生きているんだね、ああ今夜、東京の、新宿の、この場に出会えたことは物語、けっきょく大人って、とため息、かなしみ、それはこの夜にタピオカミルクティーに流されていった

 

いつだって誰かのために生きていたいと願っていました

他の誰でもなく、あなたのために

 

でもそれって、ほんとうに、あなたのため?わたしのため?

 

エゴエゴエゴ、わたしのことをエゴサーチして、大嫌いになって、携帯の光、それはぜんぶうそうそうそ、大好きになって

 

わたしの好きなところは、中学時代に好きな人をバラされたエピソードが愛しいところ、気取ってなくてさ、いいよねって笑われたときに、心の奥底にいた中学生のわたしは救われたのでした、ああバラされて、へらへらした顔で笑って傷ついたのごまかしてよかったなって、十年、生きていてよかったなって

 

そうなんだね、十年後を生きています、十年、体はようやく女のひとみたいになりました、身長はまだ伸びているし、だだこねてチーズケーキを買ってもらう、彼氏優しいねと笑う催事場のおばちゃん、えへへと笑って否定はしませんでした、じゃれ合った矢先に飛び乗っておんぶしてもらってあっつい五月、光の下、午後の川沿い、坂道を行きと帰りとおぶってもらう十年後がありました、お礼はピルクル、朝八時半の映画館、わたしたちの関係に言葉はなくて、示しもなくて、誰からも自分たちも理解してないけれど、たのしくて愛しくて、今しかないんだと確かにおもうから、だから、となりに、今は−

 

五月はちゅうとはんぱ、春と夏のすき間、ただそこに、わたしたちが、いるというだけ。