君にはハピネスが必要だね、ディズニーに行こう

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何が光、君が闇

 

わたしの先生は、毎日、のことを、エブリデイ、と言います。しかも真顔、至って真剣、なので笑うタイミングを見失い、マスクの中で、「エ、、、エブリデイ・・・」と小声で呟くことしかできないのでした。わたしのコンタクトレンズがぽろっと取れて「あぁっコンタクト・・・」と言っても話しつづけるので可笑しかった。泣いても泣いても泣いても変わらない先生が好きだった。

 

コンタクトレンズは身体の一つだとおもっています、夜の目硝子、という詩がとても好きですから、コンタクトレンズは身体の硝子、だとおもっています。コンタクトレンズが破れるということは即ち心が割れるということです、コンタクトレンズが乾くということは心が枯れたということです、コンタクトレンズが取れるということは心の殻が剥けたということです

 

「君が30歳になったらどんな女の子になってるか、楽しみだ」

と笑っていた先生、はもういなくて、楽しみって言ってたのに見てくれないんじゃん、といないと聞いたときはおもった、先生はわたしがとても堅い子だとおもっていた(でもどこか大島智子さんの描く女の子みたいだってことも気づいていた)から、よくあそべと言っていてその時はわたしにとってのあそぶ、は、図書館だったし劇場だったし映画館だったし美術館だったものだから−あそぶなんて、なんて時間の浪費なんだとおもっていたしそんな時間があるのなら読みたい観たい聴きたい知りたいものがこの世界に溢れてるのに、あそぶなんてそんなふつうのことわたし興味ないし無為なことじゃない、って−言ってることがぜんぜんわからなくてわかろうともおもわなかったけれど、あれから3年経ってようやくわかったんだ、あそんだんだよ先生、毎日毎日あそんだよ、帰り道まっすぐ帰らなかったよ、図書館の隅で本読んだりしなかったよ、きっちりかっちり時間気にしなかったよ、ただ行きたいところ行って食べて歩いてたんだよ、お酒は飲んだり飲まなかったりで飲まなくてもぜんぜん楽しかったんだよ、あそぶってこういうことか、って知ったよ、本でも映画でも演劇でも読めない観れない聴けない知れないものがあるんだってようやく、たったひとりの人が教えてくれたよ、わたし、ひとり暗い地下に取り残された真夜中の先、新宿のビルの隅で終電まで踊ってトッポギ食べて温泉行ってVR体験して王将で餃子食べて放課後かよって笑った冬に、映画観て同じシーンの同じ台詞が一番良かったねってコンビニのケーキ買って誕生日何キロも歩いてアイス屋さんのおばちゃんに寄り道寄り話して終いには風邪引いた春に、朝から映画観てどうして知ってるのって朝ごはんと興奮冷めやらぬまま遠過ぎた河沿いでふざけ合っておんぶしてもらってでも川まで降りれなくて石投げて話した夏に、たった一度の物語がたった一度だけあった秋に、生きてたよ。

 

あの夜のおばあちゃんは、ほんとうに、幻だったのかもしれない。

「もうちょっとしたらね、ヴィンテージ、に、なるから。取っとくんだよ。」

そう言わながらお金渡して手を振って手に入れたあたらしいカメラ、は何を、映すとおもう?何を、映したいとわたしはおもってるとおもう?

 

そんなことは知らないでいい、だから、ヴィンテージ、過去になった今日のこと、知っているのは、ほんとうのことを知っているのは、わたし達だけでいい

 

9:13 pm  •  30 October 2018