タイム・アフター・タイム
何度も何度も、わたしは言うよあなたが好きだよって言うよ
本を贈る、ということは、自分の一部を与える、ようだとおもっています。
だからこそ、本を貰うと、その人の、大切な一部分を貰ったような気持ちになります。
だからこそ、簡単にはページを捲れない。すらすらと、読むことさえ儘ならない。
だって読み始めると読み終えてしまうから。始まると終わるから。だから、おそるおそる、大事に大事に、一ページ、一ページを、自分の身体に、刻むように、あなたからの歌集を、詩集を、絵本を。
大好きだよって言って、おはよう以前に駆け寄ってみせる、そして、抱きしめてあげる
タイトルはわたしが一年前に書いた言葉で、一年前の記憶は確りと、ある
そのあとからは断片的で、昨日のことも、おとついのことも、実はほとんど憶えていない、紙に書いていたり、ええと、ああっと、ああ、と時間をかけて思い出す、思い出すって行為は、一度、忘れると、いうこと
「あれ、なんだったっけ?」
って言うことばかりで一足先におばあちゃまになった気分、けれど目の光はあるよ、いっぱいめいっぱい、光っているよ、わたしだけの、わたしの目、この目に映るものだけは、あなただけは、憶えています
死んだ目の大人になりたくないってずっとずっとおもってた、20歳になったばかりの頃あたりからそれだけは心に持って生きていた、いつまでも少女の目でいたくて、いつまでもリトマス紙の色が変わる瞬間が映る目でいたくて、恍惚とする目でいたくて、そんなあなたが大好きでした、今も大好きです、あなたのことが、大好きです
あふれる切なさを、僕らは
落ちてきた心、それは切なさ
クリスマスの午前八時
誰のために、泣きますか?
「僕らはもっと繊細だった。」
ちっとも繊細じゃない幾多もの足音がわたしは苦手で(きっと繊細な人たちが集まっているけど重なるとそうなってしまうただの雑踏と化す)、
用意されていないヘッドホンをしながら展示を見たのはきっと初めてだった、けれどわたしの繊細さはそんな感じなんです、こんな日に朝から誰にもどこにも向けていない文章をひたすら書く感じなんです、指先の、パーカーの、毛布の、グレーがわたしをいつも守ってくれる感じなんです、ちっとも強くなんかないんです、弱さはわたしの味方なんです
好きって言えたら 愛してるって言いたくなって
君の体温を知ったら 全てが欲しくなって
眠れない夜は、と繰り返すこの歌を、初めてラジオで聴いたときに救われたように、誰かを求めることはわるくないよと言われたようで、わたしのこともわたしが求めてあげたい
べつに失恋した訳じゃないし誰とどう、という訳じゃないし、なのに一般的にそう捉えられるような文章しかなぜだか書けない。理解されなくてもいい、いつか死ぬんだし、死ぬまで好きなこと、好きなだけ、誰に、あなたに、書いていたい
一年
一年だ、あれから一年。
今年一年、ってことを振り返るのはきっと、あと数日後のことで、クリスマスに考えることなんかじゃない、とおもう。けれど、考えることをその日って決めることはできないし、わたしにとってはクリスマスのほうが一年を考えてしまうみたいです。
今日はクリスマスじゃない、なのに、そんな気持ちでなぜだかいっぱいで、明日がクリスマスイブで、平日に訪れるクリスマスなんて信じていない。クリスマスが来ることを何にも本当はおもっていない。ただケーキが食べられて嬉しい。
土曜日なのに、喫茶店は、とても空いていて、とても静かだった。静寂が街中に溶けているようだった、現実はきっと喧騒、だけれど僕と君だけは違っているね、とっても居心地が良いからこっちが現実だ。
もともと本を読んだり映画を観たり演劇を観たりすることが好きだったのに、それができなくなってしまって、好きなのに好きでいれてないようで、読めた観れた、としてもほとんど憶えていられなくて、それが苦痛だった、感じることを、憶えていられないのが、苦しかった。
一年前はそんなんじゃなかったけれど、段々わたしがわたしで失くなっている感覚はあったし、言葉が出なくなったり感じたことをそのまま言うことが正しくないんだとおもってしまったり、好きだったわたしに自信がなくなって、好きでなくなっていってたんだな、って今になっておもう。
わたしの正しいを、わたしの真夜中を、削がれていくようだった。
だから何も信じられなかったし信じてなかったし未来なんて希望なんて大人なんて、とおもっていた。悲しみこそが希望だった。楽しいよりも切ないほうがよかった。デパ地下で、タクシーで、東京タワーの下で、漠然と言葉にできないままおもってたことがいくつもあった。今ならわかることが、たくさんある。
けれど書くことはやめないでいて、本当によかった。
これが何にもならないかもしれない。小説でも詩でも評論でもないしただの感情だ、でも、この感情は、わたしだけのものだ。
それを、今は、守りたいよ。
プーさんの言葉を借りるならたった数ヶ月だけれど、「何もしないをする」ってことをしていて、それがとっても退屈で、暇で暇で暇で暇で潰れそうにもなったし今もある。けれど書いてるとそうじゃない。書いてるとわたしがわたしでいられるんだと、おもう。
わるいことばっかりじゃない。敬愛するひとが涙を流しながら
「いずみさんはわたしの誇りだよ」
と言ってくれた一月もあった。
何も言わずにじいっと来てくれてた紺色の背中もあった。
空白の一ヶ月は何もかもで満ちていた、春と夏の隙間だった。
何もかもが直結する思い出が満ちている。
わたしにはあなたがいた。
あなた、はたった一人のことじゃなくて、たくさんのあなた、です。
空虚感も虚無感も焦燥感もまったくない訳じゃないよ、心底ある。
でも、あなたがいたから。
後悔も懺悔もごめんもありがとうも取り返しがつかないももう戻れないもある。けれど、生きてる。死ぬことなんて、できなかった。
どうなるのかなんて分からないけれど生きている。
あなた、がいるから、わたしは生きています。
一年前に見たものがまるですぐそこにある。でももう、どこにも、ない。
未来はきっと、どこにでもあって、どこにも行ける。どこでもあなた、が、わたしを救ってくれたことは、消えないよ。
また一年後、出会えますよう、祈りを込めて。
君の1番、食べちゃいたい
君の1番になれないなら食べちゃいたい、そんなわたしを食べればいい、君になら食べられていい、胃のなかでたゆたうからいい、今日の月日は美しい数字の並びだけれどそんなの気づかなくていい、だから君にわたしの全部捧げていい?
みちる
よく絵を描くようになった。
でもオリジナルの絵、つまり第一次創作による絵は描いていなくて、好きな作家や画家の二次創作を描いている、というか、それしか描けないのだ。
小学生のころ、わたしのことがとても苦手なんだろうなあ、嫌いなんだろうなあ、面倒くさいんだろうなあ、という先生がいて。
けれど、唯一、どの先生より憶えているのは。
「目が誰よりも生き生きしている。彼女の描く目が、一番良い。見習え。」
と図画工作の時間、みんな絵を描くものの真面目にみんな描いていたのにみんなの描く目が死んでいると激高した先生。に、みんなの前で言われたこと。
唯一、褒められたのは。
唯一、思い出なのは。
そのことだけだ。
たった一つの思い出なのが悲しいことかもしれないけれど、わたしにとっては、その先生とのことは、これだけで充分なのだ。
小学校の友達に、わたしの描く絵のことを先日言われた。あこがれで、負けたくないとおもってた、ということだった。
わたしはその友達の絵が好きだったから(いつもオシャレで、ふつうの小学生のそれとは違って、センスがあって、カラフルで、独創的だった、思えばその子の本物の目はすごくきれいだった、その頃も、今も)
そして圧倒的に上手かったから、とても驚いた。
でも、確かによく描いていた。漫画みたいな絵も、絵の具を使っても、小学生以前からそうだった。上手いとおもってたのかもしれないけれど才能があるとはおもってなかったようにおもうし、本当に好きだった。
でも、書くことは、その頃からちょっと特別だった。幼稚園の先生と高校生まで文通をしていたし、授業で小説(絵入りの本を書きましょう、のような)を書いては続編を勝手に書いていたし、ポエムとかやっぱり書いていたよな絶対お母さん見ているな(そのことに関して何も言ってくれないからいい)
絵は、描き続けろ、と言われたことがない。
今も描いているのは好きだから。色が、線が。美しいから。好きな人の絵が好きだから。
けれど、言葉は、書き続けろ、と言われる。
言葉はわたしだけのものだ。わたしの産む言葉は、他の誰にも産めない。だから書く。
何かのために生まれてきたって言うのなら、わたしはきっと、
書くために、生まれてきた。