前歯にひれ伏す
金曜日に、前歯を脱臼しました。
それに伴い、わたしの前歯はまあるく一回り小さくされて、すぽっ、と偽物の歯がつけられた。意地でも差し歯って、言わない。仮の歯!!!これは強調したいところなのである。
前歯を失うかなしみなんて、ないとおもってた。
わたしの前歯はもうありません。
わたしの前歯は偽物になって、それはわたしの一部が偽物に
なったということを断言/証明している。
わたしはもうわたしだけでできてない。
ピアスの穴さえ、あけられないのに、わたしには満足な前歯がなくなった。
世の中にはかなしいことが山程あるのだから、
たったひとりの、たったひとつの、前歯が、
なくなったことなんてさらさら、かなしみなんて
言えないのかも知れません。
でもね、かなしいんだよ、知ってた?前歯の悲しみを。
失ってから、気づくのよねえ、と、母は慰めてくれる。(半笑い付き)
前歯がなくなって、わたしは気が狂ったのか、夜中に脚を、血がふつふつするほど爪を立てて掻いていた、らしい。
青い缶の、ニベアクリームと
青い蓋の、ヴァセリンを
くるくるくるくる、塗りたくられた、らしい。
らしい、如何にも伝聞だけれど、ほんとうは、ちょっと憶えてる。
予感していないことがハッ、と起きる
でも生きている
きっとまた、忘れたころに、ハッ、となにか起きるのでしょうか。
午後四時半、
わたしを守るこの部屋の、ベッドの中で、
歯がなくなったぁ、って小さく言葉を宙に浮かせ
わたしはぽろぽろぽろ、泣いて、冬を生きている。
ガンソ(元祖)だから、ガンちゃん、
とあっけらかんと、言うひとはもう日本にいない、
宙に浮かんでいる
ガンちゃんも空のなか、
くまのガンちゃん。
まっすぐな名前は、こんなにも眩しい