夏の入口に立ち会って

 

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7月31日の真夜中。

小学生のころ、7月31日までにある程度の、夏休みの宿題(夏休みの図画工作・読書感想文・読書感想画をのぞいて)、を終わらせておきたいという小さな願望を抱えていた。それは達成出来たり、出来なかったり、なのだけれど、7月と8月の境目は、なんだかすこし、特別だった。

朝は6時に起きて、着替えて、6時半。町の、ラジオ体操に行く。母の目下では、毎日ラジオ体操に行く、というのが暗黙のルールであって。ほんとうはラジオ体操なんてすきじゃなかったし、町の子たちとすんなりと馴染めていなかったし、おはようと喋るような子、あんまりいなかったし。だから朝はさわやかなんてものじゃなくって、おもくて、芝生、ちょっとぬれていて。朝露みながら、朝からなんで/どうして行かないといけないの、と下を向く。

なのに、6年間、毎日、あの場所へ向かっていた。ラスカルのラジオ体操カード、スタンプ押される、首から下げる、あれって、いまも、あるのかな。

7時、家にもどる。朝ごはんを食べて、母が洗濯物を干したり残してやっておいてー!とドアを、ぱたん。8時になる。

子ども部屋に行って、朝の勉強時間。勉強しながら窓の外を見る。海が見える。空気と光。

10時、勉強に飽きる。リビングに移動し、簡易テーブルを広げ勉強するもののパソコンしたりテレビ見たり。そのうちお昼になって、火を使わない準備されたお昼ごはん。ほとんどがおそうめん、だったような。だから今でも、そうめん、あんまりたべたい、とか、おもわない。6年間でどれだけのそうめん、食べたのだろう。

午後。町の図書館へ行く。通称ふれあいセンター。一階の右側が本の貸出や読むスペース、左側がホール、二階は調理が出来たり、習字教室だったり。

エアコンが効いているし、本が読めるし、そして何より大人がいた。家で妹とふたりより、誰かがいるほうがよかった。妹の手を引いて、坂道を登りきった先にあるふれあいセンター。坂に太陽の光が映って、あつくて、小さな妹は歩くのがおそくて、ああもう、とおもいながら、地面がじりじりとゆらゆらとするのを、ひたすら見て、歩いていた。

夜。星空をノートに書く。確かある一学年の時の宿題だったけれど、その次の年も、そのあとも、夏休みの夜は毎日、家の前の広場で、星を書き写していた。ノートはきれいに書きたいので、幼稚園のときのお絵描き道具(磁力で絵を描くおもちゃ)を持っていく。

大学生になって、夏、帰ったときも星を見に行った。さすがに書き写しはしなかったけれど、寝転んで、妹としゃべりながらみていて「ねえねえ、いーちゃんのこと、お姉ちゃんって、おもったことある?」と訊いたら照れながら「おもっとったよ、ずうっとねー」と言ってくれて、それがなんだか可笑しくって、笑ったけれど、うれしくて。そのあと妹が屋根の種類を丁寧に教えてくれた。

お盆のころは、仕事が休みの両親が一日中、夏休みの図画工作を手伝ってくれる。最も憶えているのは、鏡をつくったこと(鏡をつくる、って。いまおもうとなんなのそれ・・・)。

8月15日のリビング。お昼、12時。サイレンが鳴って、鏡をつくる手を止めて、家族全員で黙祷をした。白く光る部屋を今でもはっきり、憶えている。

夏の思い出、って言われると、この辺りのことばかりが思いだされる。海にも行ったし花火もしたし、プールにも行ったし、もっともっと憶えているけれど、夏休みの日々退屈で余白だらけの一日、を思いだすのはどうしてだろう。けれど何より光ってみえるのは、どうしてだろう。

1:58 am  •  1 August 2017  •  1 note