時間は液体 溜まった液体は過去である
わたしがすきになるひとはいつだって孤独だった、ひとりでもがいて苦しんでそれでもいきてゆく、そんなひとたちばかりだ
だからあなたのために生きたい、とおもってしまう、わたしもいつだってひとりだった、孤独だ、と、だれといても、おもっていた、だから。
朝ごはんにクッキーを3枚食べた、残りの1枚はパリから届いた缶に、チョコレートと一緒にしまい込んだ。水筒にはいつもより熱めのお茶をいれて、いつもの場所、わたしの居場所へ向かった。
自分用にとおもっていたそれらの、ほとんどをひとに与えてしまった。
そのお返しは絵で帰ってきて、与えることの喜びと、よかったなあと安易におもうのでした そしてまた、絵で返した。レシートのすき間に書いたうさぎの絵。わたしはうさぎがすき。だからレシートに書いてあった食べものとうさぎを書いた。捨てられないよ、としまい込まれた。
休憩時間には糸を撮りに行った。タイミング、というものが時間には合って、いまだった、と確かにおもうのでした 赤と青の糸、光の反射。
それと同時に連絡をひとつ。ひとたび返って来る言葉、安堵する、嬉しくもおもう、あなたの心が嬉しい、と言っているのが聴こえた。いつだって同じ静寂を持ち寄っています。
年間3mmの成長幅、わずかとはいえ止まることはなく、わたしはどこまですくすくと伸びるのだろう。そしてまた小児の症状が記載されていて、あれ、ええと、まだ思春期なのか、と、おもう、20歳を越えても、お医者さまに「思春期、終わってないのね」と言われてから、アイドルにもしわたしがなったら絶対宿命で、終わらない思春期、ってキャッチコピーがつけられるとおもいつづけて。まだつづいいていた
絵を包んだり飾ったり、ラジオを聞きながら仕事をして、わたしはいまここにいる、と認識する。
真夜中、冬になろうとするこの瞬間すら、まばたきさえも侭ならず、わたしは生きていて、人生は、まぼろし。