ねむれない夜は星空に託して
これはいつだかの夏、あの子と訪れた美術館で見た星空、名付けばかりの星空、みんながへんでてきとうな名前を付けて、星に託した。
あの子のこともあの日のことも、よく憶えている。
「今ね、いーちゃん記憶がね、ないと。憶えられんとさね。」
と兄に話すとどこからの記憶がないのか、どれくらいないか、と問われて、非常に兄らしい質問だし、非常に私は妹だった。姉でもあるのだけれど、ぽくないのは、真ん中だからだとおもう。姉にも妹にもなりきれず、たった一人の、泉になった。
久しぶりにねむれない(真意、ほんとうに久しぶりなのかはわからない)。
久しぶりに、とても声に出しながら笑って本を読んだ。小説ばかり読んでいる作家のあるエッセイなのだけれど、声に出して読んじゃうくらい面白い。その最中、
これ何の曲?
「藤原ヒロシの読み聞かせ」
えっ?藤原ヒロシの読み聞かせ!?
「藤原ヒロシのリミックスって言ったんだけど‥」
そうだよね、藤原ヒロシが読み聞かせするわけないもんね我が子以外にね、
と鯖の味噌煮をぐつぐつしながら話していたものだから(同時、炊飯器からもぼこぉぼこぉと水の弾ける音がしていた、わたしが水を入れすぎたらしい)、
エッセイの面白さに引っ張られて、なのか、面白い聞き間違いをしてしまった。これは書き残したいと、憶えていたいと、おもった今日のこと。
わたしの住む家は、一軒家のような構造で、玄関の先に階段があって、その登りきったスペースがとても、わたしは、どうしてだろう、好きで。
買いだめしている炭酸水のボトルが包まった、その上にパソコンを置いて映画を見たりだとか、毛布持ってきて寝っ転がって詩を読んだりだとか、階段の柱に寄り掛かって本を読んだりだとかで、コーヒー飲んだりしてとってもとっておきの場所なのです。そんな場所、君にもあるのでしょう?
えー、先生ももう帰んの〜早くない〜
「かーえーらーなーい!しゅーっちょーう!」
下校生徒横目、自転車前方走行、しながら小太りの先生がそう言っていた。
とてもかけがえないやりとりだった、一瞬が永遠に訪れないことの証。
こんな瞬間が、どうしようもなく、愛おしい。君にもあるのでしょう?
わたしには時制の感覚が乏しくて、昨日と今日の境目がわからないし、時制がよく行ったり来たり、跳んだり沈んだり。
そのことは一見、かわいそう、なんだとおもうけれど、そう、をとれば、かわいい、になるんだから。だから、大丈夫。
ねむれない時に浮かぶ文字って浮遊していて、ぷかぷかで、ふよふよで、芯がなくて、掴めなくて、でも確かに心はあったんだよ。確かに文字になったんだよ。
そのことだけは忘れたくなくて、
あなただけでいいからみていてほしくて、
明日の境目もわからないけれど、生きていてほしくて、
ここだけは、書くことだけは、絶対にやめないから、わたしの居場所なんだから。
おやすみ、おやすみなさい、またわからない明日を生きることを、ちょっとだけ目を瞑っておやすみ、そうしてまた明日生きよう、生きる、大丈夫、僕が君を守るよ