明日は満月、大人になんて、

なりたいとおもっていない。おとな、とは。しゃかいじん、になったらそれはもう、おとな、という定義になるのでしょうか はたち、になったらそれはもう、おとな、なのでしょうか考えたことありますかねえねえ、あなたはおとな、ですか?

いずみさん、なにを言っているの、って不思議そうな表情でみられてもわたしはわたしをうまく生きれていないですし、大人になんてなりたくないなんてこども染みた薄い言葉をこの世界に発光させる、そんな五月、八つ当たり。

髪を切った。失いつつあった少女性の回帰、回起、歓喜!震えている?

理由を問われるけれど理由なんて存在しない。そもそも髪の毛に頓着、執着、接着!

がないのですから。洋服は自分に興味があるときに買う、って文章がとってもしっくりくる。それと同様。髪の毛の中に手を、突っ込んで話し合いをする少女たちの詩、がたまらなく好きでばっさばっさと切られているとき、その瞬間、が目前に迫った時間にその言葉たちが髪の毛に絡まっていた。ふふってなりますね。

わたしはひとのためって誰かのために生きていたいっておもっているっておもっていたけれどもしかしたらそれは、違うのかもしれないね。独りよがり。さようなら。さようならさようなら。

【あなたのためにしてあげることが何もないということがそのまま断絶を意味してしまう】ってもう自分の言葉のよう或は呪いのように、ある。わたしのなかにある色んなひとの言葉が定期的に頭の中のタイムライン、テレビのテロップ、のように定期的に入れ替わり立ち替わりやってくるのですがそれがいまはこの言葉たちで、朝からふっ、とやってきて聞いていた言葉を聞いていた

偶然のようにやってくる事柄。言葉にできないくらいにああ、繋がっている、って解る。みているよ。あなたのこと、映画館の片隅、いろんな隅っこにいるあなたのこと。わたしはだから映画館でもごはんの席でもカフェでも電車でも隅っこにいるのかなあ。

山の上、って言うけれどここは坂の上、でもなくってきっと中腹。すう、っと通り過ぎてしまうような坂の中にここは東京じゃないどこかしら、どこですか?どこだろう?

異空間のような、ここは山の上、で永遠と話すのは、日中東京でのけんか。けんか?あれにはどんな名が相応しい?冷戦、冷静に、けれど感情は熱を持った、わたしたちは温度を持ち寄って、言った。

ことではなく、いっとう好きな本の話、ああでも、いずみさんはきっとこちらだね、あちらはちょっとこわいから。それから映画の話。今朝見たものから最近のお気に入りまで。ここで起きる、【最近】の差異の発覚。あなたの最近、はいつでしょうか?きっと、区切りじゃない?って答が正しいのかは解らない。けれど、あなたのことは好きよ。好き好き大好き。(     )ここが解ったあなたとはきっと友達になれる。おしりを食べる話。

大人になれないわたしはまだ小児科に通っています。いつまで思春期は続くのかしら?そんなわたしを愛せますか?愛していますか?一番愛しているものは、なんですか?

12:32 am  •  22 May 2016