今年は水曜日、天気は晴れ。

おふろみたいに、外は暑くて、ああそうだ、この感じは、今日、だとおもう。

夢で市子ちゃんに会った。市子ちゃんの部屋にいって、それは想像していたよりも部屋で、ひとが住むような場所だった。特にどんな言葉があったわけではないけれど、確かに、心に、なにかが伝わって。そうして目が覚めた。

起きて、いちばんにするのは、お湯を沸かすこと。コーヒーのためのお湯。

しかしながらいまは、夏。この季節は水出しコーヒーをつくるから、お湯は沸かさない。いつものムーミンのポットを冷蔵庫から出して、コップに注ぐ。

YouTubeを開く。テレビにクロームキャストで繋いでみる朝がこのごろの定番。開いたそこには。市子ちゃん。初めて聴く曲なのに、わたし、どこかで聴いていたような。髪の毛を引っ張ったときのこと、いまでも、憶えている。

 

いつもより早い出社。11:02は、会社の隅でひっそりと祈るつもりで。それでも届くと、おもって。

だけれどこの空を見たら、どうしても、どうにかしても、空へ向けないといけない気がして。

なるべく空が見える場所で、たった一分、けれど全てが、その一分。

おもうことはたくさんある。

今日という日のことを。どれほどのひとが。

特別と普通。

 

会社の隅でパソコンに文字を打ち込む。わたしがこの半年、信じていたひとがくる、こんこん。

そっかそっか、よかったね、よかった。

頭を何度も撫でてくれる。

子どものように泣きじゃくりそうになるのを、こらえて。わたしが信じたひとは、あのひとが信じたひと。

 

誕生日や記念日のように特別ではないけれど、そのひとにとって、そのひとたちにとって、きっと大切な日であって。

与えられたものって、ほんとうに。

 

愛することより、信じることのほうが、難しい、って、テレビドラマで言っていた、そんな夜。

大切なひとが生きていることだけでいい。

2:28 am  •  10 August 2017