わたしが大切にしているものを守りたいとわたしは

陰と陽で例えるならば確実に、陰(ー隠ーin)である。陰であるけれど、めちゃくちゃに、暗いわけではなくって、例えるならば、って話であって、笑いますし、茶目っ気はありますし、わ〜っとすることだってあるのです。ただ、陰同士の温度はあって、ああだからわたしたちは、暗闇のなかで鬼ごっこ、をしたのだなと後になっておもうのです。雨を止ませられなかったらドーナツ制。マジカルとユーイング、出合ったゲーム。ずっと以前から知っていたかのように、同じだったかのように、狭くくるしいこの閉じた世界で、どれくらいの何かを開けられるのか、わたしたちは一般的な方法ではなく、各々の信じているもので、大切にしているもので、その可能性を探っている、二千の絵、三万の字、比重はずしりと、気のように、みえないものを丸めて。

「埋もれちゃうので、未来の時間を選んでもらって、設定して」

ついにわたしは時間の未来までも操れるの・・・?と電話越しにはっとする。ただの業務的なやりとりのなかで、そんな言葉が発せられ、その瞬間がシーンとなり代え難く、ぼうっとする。愛おしい。

白い四角い部屋の、四角い場所で食べるよりも、ぬけて、どこまでもぬける屋上でごはんを食べていたい。さむくなることが閉塞と同等の意味をなすことはきっと初めて、ベンチで花をながめて空にぐっと背伸びして、ああなんだか、すごく穏やかに感じていて。秋って実はそんなに好きではなかったような気がして、なんかずっと寂しくて切なくてどんなことだってセンチメンタル・ジャーニーが脳内完全リピート・リピート・リピート。そんな帰り道、食べたいねって話して、部屋の、床の、炊き込みご飯を開けた瞬間、炊飯器にふたりで顔を近づけたこと。二度と来ない秋のシーン。これだけは得体の知れないほどの幸福にくるまれて未だに更新されません。だいすきなあの子。

わたしはわたしをうまく信じれなくなったり、大事だったことを失いそうになったり薄くなったり口籠ったりしてしまう、けれど大切なものを大切にしたままで良いのでした、数年前の七夕、こわくて願ったことであって、わたしがわたしへ向けた願い/祈りでもあるのでした。

曇天は純白にならないでしょう?

古書店で百円だったリルケの詩集、手にすっと馴染んで、おもいだすのは、小説が読めないときでも、なんでもいいから言葉を入れておく、そんなときは詩を読むの、と言ったひと、わたしの、うつくしいひと  

知っても知っても知っても知っても知っても知っても知っても知っても知ってもわたしのことは知らないままなんだって知ってた?

2:51 am  •  14 October 2017