さみしさは、消失するのだろうか:問い

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この世にきまりがあるとするならば一等、思い出だけはわたしのものだからどうか好き勝手にさせてくれと言う、言って、叶うのならばこの世はわたしがつくってやるもうどこにもわたしのテリトリーはなくテトリス、浸すらにテトリス、で、埋めるのはブロックではなくてきっとさみしさだったのに君はいつから気付いていた?


問い:忘れるということと失うということの差異は何方メートルか答えよ。

 

そうやってあらかじめきめられていたかの如く誰も彼もがそうなるのかこの世はとまた嫌になって呪いたくなって書き乱してしまう、へんなところでエキセントリックを発動させ祝祭ではなく祟ってしまう決してわたしは良い子じゃない、それはきっともうどうにもならないこととどうしようもならないこととなんでどうしてこうなったのということが一気に押し寄せてきてどうにもならないままならないの何もかもと、テトリスみたいなんだね人間だってテトリスみたいに合わさるのだと思い知る十月の、交わりと、夜道のやるせなさと手を繋ぐ、その果ての感情を問いて、解いたならば、わたしはきっと、泣くだろうから聞かないし聞かせないようにただ黙って、黙々と、この夜を閉まう−

 

わたしは秋にいつも一年、のことをおもうのだった、おもうときはいつもたださみしかった、さみしくて、ずっとたりない、たりない、と嘆くようにああ一年、とおもう、もうあの秋から一年、この秋から一年、って、それは、決して春にはおもわない類いのさみしさと年単位、あなたのさみしさは何で埋まるのかってことくらい何となく透けてみえるし、あったかもしれない昨日を想像してみる、あったかもしれない明日と、あったかもしれない冬と、あったかもしれない未来と、あったよ、きっとあったよ、すべてが思い出になるわたしのこと

:答えて

 

1:08 am  •  8 October 2018