「これは、祈りなんかじゃない」

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日々に名前をつけるならば、あなたはどんな名付けをするのだろう、そもそも、名付けたいほどの日々だったの?どうなの?そこんとこいっつも答えないままで曖昧なままでこのままでやってきちゃったから。それでもこれ次にきたとき、まだ冬でしょやるでしょって残した鍋の素だとか、あたらしいのに変えとこうって変えられたふるいものと同じコンタクトレンズケースだとか、わたしコンタクトしばらく着けられなくっていっしょに買ったやすい眼鏡を、毎日かけているのに、またわたしがコンタクト着けてここで外す未来がまるであるかのように、そうして、わたしのこと残しておくんだね、逃げないしずっと待っているからって、脱走できなかった夜のこと、ねむれないの、と体育座りしたわたしを解いて元に戻された。たくさんのお守りを身に纏っている。たくさんに守られて生きている。わたしの腕とか首とかに解けたリボンや紐やボタンをいつも、きゅぅ、と結わいてくれるのは大切なひとだった。今もそれがお守りのように肌理に細かく温度伴なって生きている。赤くなるまで離されなかった腕が、絶対に死なせないと言っていたのを肌から細胞から血からかんじていた、ねっ転がった階段で落ちる透明の、粒がほんとうに澄んでいて美しくて、背後の温度が伝って遠くのよくわからない鉄塔と花火をぼう、っと眺めて、あの日たちのことをまだ書くほどの思い出にできてないけれど今確かなのは、一生忘るることなんてない、ということ。

 

わたしが生まれた春の日、なんてことない日だけれど、朝の光が眩しくって、あの小さい部屋で先に目覚めて、携帯に届いた「あなたはわたしの光です」の一文と他文のたったわたしに向けられたかけがえなさを、おもうと、泣いたのだった、わたしの泣き声で起きて、どうしたのと抱きしめられて、またそれで泣いていた、そうして何らかを食して、家を出て、また歩いてここに辿り着いた。どうしてかそんな春の日のことを、ふと、思い出した。今日の、秋、十月のあたたかさが、どこかその日を結びつけたように−

 

こんなことになる前に、とか、こんなふうにならなくても、とおもうことはとてもあるけれど、すべてが思いどおりになんていかない。今のわたしはコンビニのレジでさえもうまく話せないときがあるのだし、もうすぐしたらこうして外に出ることさえも侭ならなくなるのかなあとおもうと、かなしいね。でもまだ生きているし生きていてと望まれているだけとてつもなくありがたいね。

 

今の前だったら、あの日もこの日もなかったのかもしれないとおもうと、ああ今で、良かったのかもなあとさえ、おもうのだった。

「あなたはわたしの、永遠のミューズよ。」

と、どんなことが起きてもと言われて、書くと薄くなりそうで消えそうで本当はそうじゃなかったようで、とおもうけれど、確かに目を見て、台風で東京の街が全て停止する日の、雨のすき間に、わたし達だけの時間があったこと。

 

左腕に止まったままの時計をしている。ゆるゆるで今にも落ちそうでくるくる回るが、これが、あたらしいお守り。わたしの皮膚に溶けた言葉もうさぎも守ってくれている。

これは、祈りなんかじゃない。

 

5:38 pm  •  24 October 2018